2001年9月11日にブッシュ大統領がいた場所 【フロリダ】



2001年9月11日は、アメリカで同時多発テロ事件が起きた日。あれから、11年が経ちました。

2001年9月11日にブッシュ大統領がいた場所


あの日、ブッシュ大統領が、ニューヨークのWTCに2機目の航空機が衝突したことを補佐官から耳打ちされた場所が、フロリダ西海岸にあるサラソタの小学校した。子供達に絵本を読み聞かせているところでした。この写真は有名ですね。




地元のニュースサイトで映像を見ることができます。


https://www.readingthepictures.org

子供達がみんな黒人なので、あれ?サラソタは黒人が多い街なの?と思われるかもしれませんが、この小学校の生徒の半分以上が黒人とヒスパニック系で、白人は今年もたったの6%という、市内でも異例の場所です。

ネットでも公開されている学校評価は10点満点中、たったの2点。フロリダの公立小学校の順位ではほぼドン底に位置しているし、家庭が貧しく無料の給食を受け取っている生徒が93%を占めています。

このブッカ―小・中・高の3学校がある学区の住民の95%は低所得の黒人とヒスパニック層です。その付近はスラム街というわけでもないのですが、数ブロック離れたところには貧しい黒人エリアの代名詞でもあるマーティン・ルーサー・キング・ジュニア通りがあります。

ちなみに、この名前がついている通りは米国に950カ所もあり、そのほとんどが「低所得の黒人やヒスパニック住民がいる場所」だと言われて、ネットで探すと色々な写真を見つけることができます。

サラソタ市のMLKJ通りは小さくて、とくに危険というわけではないのかもしれないけれど、週末の夜ともなると、通りの入り口付近にランプのついたパトカーが止まっていてアルコールやドラッグ問題が多発しているというイメージがあり、住民以外は絶対に近寄らないエリアといっても過言ではありません。タクシーやUBER運転手も行きたがらないと聞いています。

とはいえ、過去をさかのぼれば、この隔たりは人種差別に起因したもの。

ブッシュ大統領が訪ねていたエマ・ブッカ―小学校はその昔、サラソタ市内で唯一、黒人が通うことができた学校だったのです。

教室を借り、机もないものだからオレンジ農園からもってきたバスケットを利用し、白人学校の生徒たちが使い捨てた教科書を拾い集めて使っていたそうです。学校の名前の由来は、そうした黒人の子供たちへの教育を熱心に広めた、のちに校長先生になる女性教師のエマ・ブッカ―なのです。





マーティン・ルーサー・キングJr通り

マーティン・ルーサー・キング・ストリート、つまりMLK streetsという名の道路は、前述したように米国に950カ所あり、世界中でみると1000カ所以上あると言われています。日本ではキング牧師の名でお馴染みですね。


  

この名前がついた道路付近に住んでいる人々は、貧しい黒人が多い、という偏見的なイメージは、あながち嘘ではないと言われているものの、すでに近代化された場所や、クリーンアップされている場所も多く、サラソタも例外ではありません。

通りの片端には、デジタルアニメーションで有名なリングリング美大があり、生徒の増加にともなって大学の機関や寮などの建物が必要になることから周囲のエリアを買い取ったりクリーンアップして、今の時点では少なくとも、大学周辺から少しづつきれいになってきています。


ブッシュが優先させたこと


ブッシュ大統領は当時、「No Child Left Behind Act 」という法律を成立させていました。「どの子も置き去りにしないように結果責任、柔軟性、選択により学力格差 を縮め、貧困層の学力を向上させる」といった内容も含まれているため、サラソタで一番学力も評価も低く、給食費さえ払えない家族が多いあの学校を訪れていたのかもしれません。



あの瞬間に生まれたもの

ブッシュ大統領を迎えるスタッフとして選ばれた女性もまた、サラソタのMLKで育ってその学校を卒業し、大学まで行った人です。地元に戻って子供達への教育に働きかけていました。あの日だって、政府からの支援の提案を心待ちにしていたのかもしれません。

しかし、テロの報告を受けたとき、大統領の最優先順序は変わりました。

あの瞬間、彼女はこう決心したと言います。こんな大変なときに、政府からの援助をあてにして延々と待ち続けるのではなく、自分たちでできることは自分たちでしよう!

学校への支援のプランは、その瞬間に、いちど立ち消えになったのかもしれません。

彼女は仲間と支援グループを立ち上げて、近所の図書館にて毎週土曜日、勉強会を開くことにしました。近所の人たちや高校生、教会に来る人たちなどに頼むと、彼らは快くやって来て、子供たちに読み書きを教えてくれました。支援グループが大きくなり、別の建物に移ったあとでも、勉強会は続きました。

長い夏休みに入ると、ニュータウン地区の子供達はすることがなくなってしまいます。公園で遊ぶには大きすぎるし、働くには小さすぎる。そんな子供達を集めて、泳ぎを教えたり、近所の美術大学でアートを教えたり、協力してくれる会社を見つけて研修させたり、コミュニティに貢献するためフードバンクで寄付のための食べ物をつめたり、図書館で読み聞かせをさせたり等、地元の人々や企業、学校からの協力を得ながら頑張り続けて、今に至っているそうです。素晴らしいですね。

9・11という惨事でアメリカが打ちのめされたあの瞬間、自分たちの力で子供達を応援していこうという素晴らしいエネルギーが生み出されていたのです。

Your children can succeed; September 11 marked the start of at least one good thing, despite the terrible tragedy for which most people will remember that date.

と創立者の彼女は言います。どんな場所に生まれ育っても、子供達は、立派に育つものですよ。と。

だけどそれを支えるのは、圧倒的な絶望の中でも希望の光を見逃さない、大人たちでもあるのです。


参考サイト
*sorce

楽天